7時に起きる

もう二度寝はしない

フェミニズムと日本のお笑い

どちらかというとお笑いをよく見る人生を生きてきました。

 

小学校ではウリナリ電波少年めちゃイケオンエアーバトル

中学ではガキの使い

高校では内P、アメトーク、放送室。

同級生があいのりの話題で盛り上がってる時に内Pの露天風呂でだるまさんが転んだに抱腹絶倒していた事がひっそりとアイデンティティでした。

 

でもある時、ほんと最近なんでしょうが、

あんなに傾倒して、間違いはないと思っていた松本人志の発言に、

ふ、と何か違和感を感じ、

段々と今まで脳みその隅っこの方で流し続けていた事が、

流しきれなくなっていました。

 

 

そしてそれはハッキリとある時「不快」に変化して、

ここ2年くらいバラエティに対して何となくの消費を繰り返しました。

今だって別に劇場に通う訳でもないので芸人さんにとっては一円にもならない客なのは同じかもしれませんが、

とりあえず今は、ここ2年くらいの「嫌悪」程のものは感じていませんし、

面白かったら「面白い」とTwitterで言うくらいの、1円程の客にはなったつもりです。

 

その意識の変化は、私がお笑いに与えられていた男性社会特有のものと、

フェミニズムを知って傾倒し、その後距離感を保つまでの浅はかな歴史が存在します。

上手くまとめられないのが書く今から分かるので少しずつ箇条書きにまとめていきます。

 

1、北野武をきっかけに映画を観始めた

高校生の頃、座頭市が映画館でかかっていました。

金髪の盲目按摩が刀をふりさばいているビジュアルが猛烈にかっこよくて、元々ビートたけし好きだったし、まずはと図書館でソナチネのVHSを借りて観て、

それから映画にのめりこみました。

 

2、北野武松本人志の著書を読み漁った

図書館でこの二人の著書をよく借り、よく読みました。

正直、書いてある内容は全く覚えていないのですが、この二人のもつ並々ならぬオーラ(2000年代初頭)にひきこまれていきました。

二人とも、ただスーツ姿で立っているだけで映画のポスターになってしまう(特に北野武

高校生のわたしは二人の言っているお笑いのルールこそが正しいのだと信じこみました(特に松本人志

 

3、社会人になり町山智浩を知る

映画好きが高ぶり、当然のように町山智浩の存在を知って映画評を聞きまくりました。

RHYMESTER宇多丸高橋ヨシキの映画評も聞き漁り、

映画をただ受け身に観るのではなく、頭を働かせて意識で攻めながら観る喜びというのを初めて知ったのです。

 

4、アメリカの映画やドラマを沢山観る

差別、偏見、暴力をアメリカの映画やドラマを通して知り、

マイノリティの苦しみ、多様性を重んじる心の豊かさを学びました。

 

5、ケンドーコバヤシバカリズム

アメトークは大好きな番組で今も好きですが、

この二人がこの番組で「女性」のことを話すと、物凄い違和感を感じるようになりました。

それは明確に「不快感」なのですが、この時はこの自分の心の違和感が分からず、

「気のせい」もしくは「この二人の言っていることに笑えない自分が悪い」くらいに思っていました。

今思うとこの二人は(私見でしかないですけど)、発言に女性嫌悪を内包しているので、女性について何か喋ると「女性に対しての不快感」を喋っていて。

それを聞いて女性の私が不快にならない訳ないという訳です。

 

6、アメトークの一部が見ない&早送りするようになった

そんな訳で、ケンコバとバカリが出演している回、もしくは二人が何かを喋っている時は早送りするようになりました。

二人が出ていなくても「女の子大好き芸人」「男子校芸人」、

もしくは下ネタがメインになりそうな回は見ないようになりました。

そうでなさそうな回でもあらゆる発言が「聞きたくないな」と思うことが増え、その都度早送りするか耳と心をシャットダウンして自ら検閲し、笑わなくなりました。

しかし何故そのような手間をかけなくてはいけないのか、全てを笑えないのか、

これは「不快」なのかどうかさえ、この時の私には分からなかったし、疑問にすら思いませんでした。

 

7、イッテQの女芸人への安堵感

イモトの活躍や、女芸人たちの体を張ったロケを放送するイッテQ。

出演陣の7割が女性で、ここまで国民的なお笑い番組って希少だよなぁと思います。

それに見ているとアメトークや他番組でやっている「検閲」をやる必要がない楽さがあり(出川が出ていると検閲する時がありますが)

安堵感があるんです。

そんな番組が何故「希少」なのか。

ここにも疑問をもちませんでした。

 

8、田房永子の漫画を読んだ

そんなこんなでお笑いは積極的に見る事もなくなり、

決まった番組を検閲しながら見る、というまぁ普通のことを何年も続けていました。

で、妊娠を機に田房永子の漫画を知り、

妊娠や育児の漫画を読みました(後に毒親の漫画も読みます)

そして初めて「女性の日々の抑圧」を知りました。

気付かされた、見ないようにしていたものに光を当てられた、といった感じです。

 

9、過去を思い出した

そこで思い出しました。

小学生でのあれ、

中学生でのあれ、

高校生でのあれ、

大学生でのあれ、

社会人でのあれ、

いま現在妊娠中でのこれ、

あらゆる過去の、

男性からの性的な嫌がらせ、

社会からの「女ならこうしておけ」という抑圧、

自分自身感じていた「嫌だけどみんながそうしている」という事への疑問。

というか、思い出したくないから記憶に蓋して、感じないようにしてたあれこれ。 

一気に思いだし、猛烈な怒りに震えました。

なんであんな加害や抑圧にあい、しかもそれを「被害だ」と訴える声すら塞がれていたんだろう。

やっと気付いた瞬間でした。

 

10、 自分がマイノリティだと初めて自覚した 

世の中はMee Too運動が高まり、女性が次々に目を覚ます時代に突入し始めていました。

わたしもTwitterフェミニズムに触れ、立派なツイフェミとして妊娠中は過ごしました。

その間に東京医大は女性の受験生を「女性だから」と合格点で落とし、

昔ならスルーされていた「ちょうどいいブス」も「そんなもん強要してくんな」と一喝され、

西武百貨店やロフトのバレンタインデーの広告、

そして松本人志の発言。

あらゆる軽視蔑視に世間が反応し、Twitterではフェミニストとミソジニストの戦争が起こり、

今までが嘘みたいに「ああ、これ嫌って言っていいんだ」という事の連続。

初めてわたしは自分が女性であることが「マイノリティ」なんだと知りました。

 

11、マイノリティであり続ける事は消耗する

同時に、その攻撃と連帯性を強めていく世界に段々と疲れてきました。 

マイノリティであり続けるという事は、常に自分の抑圧を確認するということで、

それは非常に消耗する事でした。

むしろそれを自覚しない今までが楽すぎた事も知った上で、

わたしはTwitterフェミニズムから距離をとり、

出産も近づいてきたのでマタニティ垢さんをたくさんフォローし、

彼女たちの発信をたくさん受信しました。

でも結局、彼女たちの発信も「マイノリティの発信」である事には違わず、

マイノリティでありながらこれからは生きていくんだな、と自覚するに至りました。

 

12、育児中はテレビが友達

子供も無事健康に生まれ、慣れないままに育児が始まりました。

社会からの完全な断絶を感じるのが産後二週間目。

多くの妊婦がそうするように、わたしはテレビをつけて世間と繋がってる感じを体感しました。

そうすると、フェミニズムともうまく距離をとれていた為か、

あんなに嫌いだったマツコ・デラックスも見れるようになれました。

ケンコバやバカリは未だに嫌ですが、

今までの「拒否!」という感覚ではなく、

「こういう考えの人もいる」という、受け入れる気持ちになれたのです。

 

13、極度の男性嫌悪も結局は差別になる

 フェミニズムを知って、今まで男性にされた加害がつらく、

男性の全体像を憎むような思考になりましたが。

わたしは夫が大好きですし、会社も辞めた今、まわりの男性は父と、友達の旦那さんくらい。

みんな良い人です。

一部の男性、たとえそれが大勢だったとしても、

目の前にいない架空の人種を憎むのは結局差別なんじゃないか、と今は思います。

被害に遭われた方にこれを諭すような馬鹿な真似はしませんが、

わたしは過去、嫌な目にあった小さな自分を抱き締めて、可哀想だったね、と慰める事で乗り越えるしかないと、思っています。

差別や偏見は常に、誰の心の内にもあります。

「わたしは差別なんてしない」と断言してる人程、差別してるもんです。

なので、わたしは差別や偏見が生まれそうになったら、その相手が目の前に座って一緒にカフェオレを飲みながら話している画を想像します。

その上で「きっとたのしく話せる」と思えたら、だいぶ心が柔らかくなる筈です。

 

 

14、その上でバラエティを楽しむ

長くなりましたが、上記のわたしのフェミ思想を踏まえた上で、

わたしは今、日本のお笑い文化を楽しんでいます。

楽しむのには、結局「検閲」は必要であり、差別的表現が平気で出てきたりしますが、

まだそこまでの考えに至らないんだな、と諦める事が肝心です。

だって、お笑いというものはほとんどが男性で構成されていて、

番組を作ってるのもほとんど男性で、芸人もほとんど男性、観客席だけ女性という異様な世界なんです。

女性の妥協が前提の世界だったからこそ、妥協しながら見るしかありません。

でもそうすると、少しずつ変わってきている事にも気付きます。

 

15、好感度第一位のサンドウィッチマン

サンドウィッチマンが話すことは安心して聞けます。

二人とも相方を尊重し、奥さんと子供を愛し、故郷を大事にする。

ポジティブな要素だけで面白い事を発信できるのってすごく素敵です。

何となく今までのお笑いでは、コンビ仲は悪く、女遊びをし、故郷はくさす。

それがスタンダードのように見えたので、

それらの反対をいくことで、広く受け入れられるこの二人の活躍にこれからも期待です。

 

16、規制されるのではなく、多様性を含む表現へ

 よくバラエティ番組の表現はバッシングの対象になりますが、

それは結局作り手がポリコレを理解してないから起こるんですよね。

そもそも完全な理解は難しいにしろ、受けた非難をただの難癖として処理してるだけではこれからの世代にもう響かないコンテンツに成り下がってしまう。

と、色々書きましたが、社会が変わっていけばお笑いの世界も変わるしかない。

それを期待するしかないのかな、と思っています。

 

17、それでもお笑いを見る理由

じゃあ何故バラエティを見るのか?って事なんですが。

たとえ差別的な世界であったとしても、

それでもそこは弱肉強食で、そして世代交代がある、という事に気付いたからです。

もうダウンタウンが50半ばの年齢。

あと10年すれば今、テレビの中心にいる40代の芸人が50歳半ば。

その下の20~30代の新しい感性をもった芸人が新しい世界をつくる。

食われる側も、もし生き残るなら意識をアップデートせざるをえない。

わたしはそれが楽しみなんです。

根深い差別や偏見の根は簡単には生え変わらないとはおもいますが、

それでも、絶対変わる。変わっていく。

それを見たいんです。

その前に衰退したら悲しいですが。

 

 

と、長々書き連ねてきました。

ネットの世界には「フェミニズム」に嫌悪感や苦手意識を抱く方がいる事も知ってますし、

お笑いを語ることも反感を買う事も知ってます。

その上わたしは文章がうまい訳でも論理的でもないので、

もしかしたら厳しいコメントなどくるかもしれませんが、

すべてはわたしの実体験や心のもちようからきた個人的な感想記事でしかないので。

そういった事態になったら議論せず無になりますのでご了承ください。

 

とりあえず、フェミニズムを知ると女性だけでなく、

男性も男性社会からの抑圧から自分を解放できるのでオススメです。

あと、バラエティ番組はこれからも検閲しつつですが、楽しく見て消費していきます。

もう最後のほう疲れてクタクタな文章になっちゃった。そんなもんですね、わたしのブログは。

これからも疲れない程度にやっていきます。

最後まで読んでくれたかた、ありがとうございます。

 

以上でーす。

 

 

その他、フェミっぽい記事はこちら↓

 

chiakiyukio.hatenablog.com